シンポジウム趣意書

「近世出版文化の社会史」

近年、書物や出版に関する研究は、書物それ自体の書かれ方や書かれたテキス トの分析といった「書物史」から、その書物に書かれたテキストがいかなる読 者層により読まれ、また聞かれて受容されたのかという、「テキストの世界」 と「読者の世界」との遭遇がいかになされたのかに着目した「読書史」研究へ と展開している。ロジェ・シャルチエに代表される「読書の社会史」研究はこ の流れの中心的存在であり、2000年に邦訳が出版された『ヨーロッパ読書史- 読むことの歴史』(大修館書店)はその重要な成果である。

 「読書の社会史」は、主に18世紀ヨーロッパを舞台として研究が展開されたも のであるが、他地域の歴史研究にも大きな影響を与えており、従来の文献学の 枠を越えた成果が期待されるといえる。

 そこで、今年度の広島史学研究会大会シンポジウムは、「近世出版文化の社会 史」を統一テーマとして、日本史・東洋史・西洋史の各分野の「近世」におけ る出版文化を分析することとしたい。体的な論点としては、これらの「近世」において共通してみられる、出版の 隆盛、出版文化の多様性の分析を通じた各地域の特徴の検討、書物の読み手を 巡る状況、出版統制などの出版と政府との関係が出版文化にどのような影響を 与えたのかというようなものが考えられる。ただし、「近世」という時代の区切り方や出版を巡る諸条件についての状況の 相違などから、どれか一つの論点に集約して論議を展開することは困難がある ものと思われる。むしろ今回のシンポジウムでは、出版文化における1つの画 期である近世の出版文化の多様性を確認して、それらを支える社会的条件をそ れぞれの各分野で比較検討し各論点にそって検討を行うことで、「文献史」 「読書史」についてのより広い視座や今後の研究の可能性を考える端緒として いきたい。

  討論の素材となる各報告の要旨は以下の通りである。

 引野亨輔氏からは「近世日本の書物知と仏教諸宗」と題して報告していただく。 ロジェ・シャルチエに代表される「読書の社会史」研究に促され、昨今の日本 近世史研究では、かつて無いほど出版文化への注目が高まっている。そして、 この動向を代表する研究者としては、丹念な蔵書の検討から近世前期の民衆層 に「知的」読書の成立を指摘する横田冬彦氏や、太平記講釈のタネ本『太平記 評判秘伝理尽鈔』が近世人の「政治常識」を形成したとする若尾政希氏の名を、 先ず挙げる必要があるだろう。両氏の研究は、これまで研究の対象として取り 上げられることなどなかった書物の「読者」に注目することで、頂点思想家研 究に留まらない思想史の裾野を押し広げることとなった。 しかし、「読者」の存在を余りに過大評価し、平板な書物知の普及を描き出す ことは、他方で階層差の軽視という危険性もはらんでいる。

 そこで、本報告で は近世におけるより多様な書物知の様相―例えば、ある社会集団が書物知の独 占を図り、ある社会階層がそこから排除されるといった具体相―を赤裸々に描 き出すことに努める。そこにこそ近世的な文化状況が象徴されていると考える からである。 より具体的には、仏書をめぐる教団・僧侶・信徒の動向を探る。仏書は、横田 ・若尾両氏などの先行する出版文化研究ではやや等閑視されている感があるが、 近世前期段階において他の知識体系を圧倒する地位を占めており、近世的な書 物知の全体像を見透かす上では不可欠の素材といえる。ただ、中期以降になる と、その出版状況はやや停滞する。このような仏書出版の傾向は如何なる背景 を有するのか。寛文期に大量の宗学書を出版した日蓮宗を例に取り、教団によ る「正統」な知識の独占という側面からその意義を考察する。また、中期以降 は停滞する仏書出版の中で例外的に活況を保つのが真宗関係の書物である。こ れについては、信徒の情感に訴える真宗談義本が、それゆえに出版隆盛をもた らしながら、宗派の独自性確立を目指す教団・学僧によって厳しく否定されて いく行方を追う。 以上のように、本報告では、書物知の急速な普及という全般的状況にも勿論注 目しつつ、その一方で仏教教団による書物知の「統制」という要素も加味する ことで、多元的・複層的な近世日本の知識世界を理解する一助としたい。

  丸山浩明氏からは「出版文化から見た中国明清小説の特徴」と題して報告して いただく。 「近世出版文化」というキーワードから言えば、中国の場合は明代清代がその 考察の中心になる。とりわけ明代中葉16世紀中盤の嘉靖・万暦年間あたりの隆 盛から、新技術としての石版印刷がもたらされる以前の清代後期19世紀中盤の 咸豊・同治年間くらいまでが、所謂木版印刷の全盛期であり、且つ近世という 時代性をも最も顕著に体現した、検討の対象にふさわしい区分と見なせよう。

 本報告では、明代の万暦期に多出した「評を本文と同一面に含む形態」が小説 にまでも影響した点を多様性の一特徴と捉え、挿図の問題をも視野に入れて 「版面」が示唆する伝播対象を探ってみたい。このことは取りも直さず、出版 において印刷発信者側が如何なる読者を想定していたかを考える上での重点で あろうし、裏返して言えば読者受容者側の要求を具現しているとも考えられる からである。 また、課題の一つである「社会史」という点から見れば、出版自体が有する特 徴を検討することが正攻法ではあるとは言え、それに対峙する読み手の問題を 如何に解説できるかが「文化」としての切り取りを左右するだろう。例えば、 政府や権力との関係における出版統制すなわち禁書の問題が中国の場合は特に 著しいわけで、専門の研究が多くの指針を与えてくれている。この方面では禁 令発布の実態よりも、むしろその書物が禁令に関わりなく(或いは反逆的に) どれほど流布伝播影響した或いは利用されたかが問題であると思われるので、 統制との関わりから些か言及してみたい。さらに、印刷編集に関与する発信者 側の経済基盤や識字層としての受用者側の購買・借用体制など、未解決の問題 は多い。そこで当時における双方の経済状況や所謂貸本の実態については、小 数ながら例を挙げて考えてみたい。また、読み手としての識字層の外側に位置 する所謂中間層と言えるような視聴覚(演劇や講釈など)から情報を得る受信 者をどのように考えたら良いかについても、「出版」の側から考えてみたい。

  森原隆氏からは「近世フランスの新聞出版とジャーナリズム」と題して報告し ていただく。 近世フランスの出版文化のなかで、特に新聞出版の文化を中心に、これに関連 したジャーナリズム形成の問題を取り上げる。近年、フランスのアナール学派 の書物の社会史研究の影響などを受けて、この時期の新聞・雑誌やジャーナリ ズムに関する研究が飛躍的に発展した。一般的にジャーナリズムは近代の産物 と見なされ、フランスの場合は革命以降、特に19世紀以降をその成立期とする というのが従来の見方であり、革命前の新聞や雑誌については充分な研究がな されておらず、その評価も過小なものであった。しかしながら、近年の研究成 果によって、このような見方は徐々に修正されつつあり、、革命前のアンシャ ン・レジーム期において、すでにかなりの新聞や雑誌が出回り、ジャーナリズ ムをめぐる様々な問題が浮上していた状況が明らかになってきている。

 本報告では、具体的に1631年にテオフラスト・ルノドーにより創刊されたフラ ンス最初の新聞『ガゼット』Gazette紙の出版文化を分析の対象とし、創刊時 からフランス革命前夜にいたるまでの時期を通史的に捉える。まず創刊につい ては経緯・内容、購読の実態、王権との関わりなどを論じ、その後、厳しい出 版統制の中における『サヴァン誌』、『メルキュール誌』などの雑誌の出現、 ナント勅令の廃止、地方版の隆盛が、『ガゼット』に与えた影響について検討 する。『ガゼット』は18世紀の半ばにルノドー一族の手を離れた後、1761年に 国家の直接的な管理化(第1レジー期)に入り国家新聞となったが、軌道 に乗らず、また1770年代のモープー時代における第2レジー期の改革も失敗に 終わった。一方、この頃から、「ジュルナル・ポリティーク」と称する政治雑 誌が登場し、批評や論評を旨とする新しいタイプの政治情報誌が台頭する。ル イ16世即位後においても、オベール管理下の『ガゼット』の停滞に比べ、C.J. パンクックが推進する「ジュルナル・ポリティーク」が部数を伸ばし、『ガゼッ ト』を凌駕するのである。この「ガゼット」から「ジュルナル・ポリティーク」 への転換がいかなる意味や意義を有するのかを論じる。 このような新聞出版の文化と王権や政治機構との関係、また、読者公衆や公共 圏・世論など近年注目されている諸問題についても、併せて言及してゆきたい。 

  以上が各報告の要旨である。シンポジウムでは日本史・東洋史・西洋史のそれ ぞれの近世における読み手の広がりと出版の隆盛を通じて、近世における出版 文化の隆盛とその多様性について考察していきたい。シンポジウムにおいて、 会員諸賢の多数のご参加と活発な討論の展開を切に願うものである。