2004年度 日本史部会発表要旨

1.貞観一二年、藤原元利麻呂による新羅通謀事件の真相に関する基礎的考察

広島大学 渡邊 誠

 王朝国家期の政務処理の実務機関が、大夫史が率いる弁官局と大外記が率いる外記局であること、そして、その大夫史・大外記の地位が小槻氏、清原・中原氏によって世襲化されていることは定説化している。ところが、「大夫史は小槻氏単独による世襲であるのに対し、なぜ大外記は清原・中原の二氏による世襲なのか」、「この二つの地位の世襲が始まった時期はいつなのか」など重要な問題については未解明のまま残されている。当時の朝廷の行事の一つである「軒廊御卜」に神祇官と陰陽寮を召す場合、弁官を介すのか、外記を介すのか、同じ事務処理であるにもかかわらず、時期によって経路が異なっている。この現象は、当時の弁官局と外記局の関係や、中央政府部内での位置づけが表面化したものと考えて良い。本報告では、このことを素材として、弁官局と外記局の関係やその世襲の成立などについて考察を加えることにしたい。

2.平氏と安芸国皇室領荘園成立過程

本会会員 畑野 順子

 これまでの安芸国荘園成立論では平氏が厳島社領形成に深く関わったことから、厳島社領と平氏との関係を基軸とした成立過程追究に主眼がおかれ、皇室領荘園については大きな関心が寄せられていたとは言えない。しかし近年の荘園成立過程研究は、院政期成立の皇室領荘園を中世荘園の典型とみなし、これを対象とした研究によって研究の深化飛躍と従来の説の大きな転換をもたらしている。これらの新しい荘園研究の動向を受けて、安芸国荘園成立過程も皇室領に注意を向け今一度見直すべきだと考える。院政期皇室領荘園成立には知行国主・国司の働きが大きく作用するので、安芸国院政期における分国主・知行国主の変遷を明らかにすることに努め、それに応じた皇室領荘園成立過程を考察してみたいと思う。今回の報告では、荘園領主側の「上からの」荘園設定を追い、安芸国皇室領荘園成立過程のアウトラインを提示することになると思う。

3.戦国期大友氏の狩猟と領国支配

九州大学 大塚 俊司

 戦国期における大名権力の狩猟に関する研究は、従来あまり行われておらず、その目的や意義について論じられる以前に、実態の究明が未だ充分になされていないと思われる。そこで本報告では、大友氏が行っていた狩猟を素材にして、その実態を可能な限り明らかにし、それが同氏の領国支配とどのように関わっていたかを考察したい。大友氏にとっての狩猟には、当主自身の娯楽や、嗜むべき教養としての側面も見られる。しかし一方で、狩猟は大友氏の年中行事の一環として、家臣団を動員して行われており、また自己の狩倉以外の山野に対しても狩猟を禁ずる「法式」を発したり、各地の狩倉付近に「待屋」と呼ばれる施設を置いて近隣の領主に維持管理を命じたりするなど、一概に娯楽目的には止まらない側面を持っている。このような実態を明らかにすると同時に、大友氏の領国支配の上での位置付けを試みる。

4.毛利氏領国における破城・下城と地域支配

九州大学 光成 準治

 中世における城館・城郭は在地領主制のもと、国人領主など地域権力の支配拠点・軍事拠点として機能し、その存廃は原則として当該地域権力に委ねられていた。このような中世在地城館制は織豊政権による破城政策を経て、最終的に徳川政権下の一国一城制へと転換していくものとされてきたが、従来の研究では中央政権の視点からの分析が主であるため、地域権力にとっての破城の意義が不明確であるという課題が残されていた。そこで本報告では、毛利氏領国を対象として、豊臣政権による破城政策の一環と捉えられてきた天正一四(一五九六)年の「下城」命令について再検討するとともに、戦国期から近世初頭における毛利氏による破城・下城の実施状況を分析し、毛利氏城郭統制政策の特質を明らかにする。また、豊臣期の領国内の城郭・城館配置を分析することにより、地域支配の進展過程についても考えてみたい。

5.萩藩家老益田家の知行地支配と境目論争

慶應義塾大学 重田 麻紀

 従来、萩藩の村落および地方支配に関する研究は、主に蔵入地が対象とされてきた。しかし萩藩は地方知行制を取っており、その数・規模は減少するものの、大型知行地(一郷一村知行)に限定すれば近世期を通じて維持されている場合が多い。よって、萩藩村落の全体像を明らかにするためには、知行地村落についても検討を深める必要があると考えられる。 本報告では、大型知行主の一つである益田家(永代家老、一万二千石余)を取りあげ、知行地の中心であった奥阿武宰判須佐村と隣村の惣郷村との間で起こった境目争論を検討する。明和六(一七六九)年、両村が領有を主張する土地に須佐村がたばこを植え、それを惣郷村の百姓が引き捨てたことに端を発し、双方の庄屋のやりとりから藩の裁許を求めるまでに発展した。この一件を手がかりに、知行地の庄屋および陪臣の実態に迫り、益田家の知行地支配について、さらには萩藩の知行地支配、大型知行地の特色について考えてみたい。

6.明治期における日本茶輸出の諸問題

広島大学 原崎 洋祐

 開港当初、対米向けの製茶輸出は貿易額上大きな位置を占め、明治中期以降も貿易額は一定の水準を保ち、よって明治期を通じて重要な貿易品目であったと考えられる。この製茶輸出を積極的に扱った研究としては角山栄『茶の世界史』が挙げられるが、それ以外では製茶生産地帯における地域史的研究が主で、輸出そのものを論じた研究はほとんどない状況である。角山氏の論は、明治期の米国市場において、製茶が日本文化の象徴から一部の嗜好者向けの下等飲料へと転換し、これによる市場の狭隘化によって製茶貿易が衰退したとしている。しかし、製茶貿易の進展を阻んだ要因は、むしろ不正茶問題による販路拡張・直輸出の失敗であると考えられる。そこで本報告では、領事報告や製茶生産地の史料によって、製茶の質的問題とその対応を主に情報面から検討し、改めて明治期における製茶輸出について考えたい。

7.日露戦後・大正初期の地方政界における知事と政党

広島大学 鈴木 健樹

 近代政治史において明治後期という時代は、政党が政治勢力として中央・地方政界において伸張を遂げた時期として従来理解されてきた。その伸張のあり方として、例えば季武嘉也氏は、中央政財界に人脈を持ち地域利権散布を期待させうる人物を衆議院議員に立てることで、政党が中央―地方を結ぶパイプ役に収まったことを指摘している。当該期は政党勢力が伸張する時期であると同時に、その伸張の背景として、もしくは結果として、中央政界―地方政界の関係が変化した時期であるとも言えよう。そこで本報告では、官選知事のように、政党(具体的には政党所属の衆議院議員)の他に機構上中央―地方のパイプ役となりうる存在に着目し、それらと政党のパイプ役としての機能を検討することを通して、当該期の中央政界―地方政界の関係を政党史の枠を越えて考察したい。

 

8.内閣各省委員制の展開 -商工省委員の活動を一例に-

九州大学 官田 光史

 昭和一七(一九四二)年六月に設置された内閣各省委員は、太平洋戦争期の政策過程の構造を明らかにするうえで、重要な存在であると思われる。これまで、内閣各省委員の報告書などについては、戦時の国民生活の記録として注目されてきた。しかし、内閣各省委員の制度と実態については、実証研究の進展が俟たれるところである。こうした研究状況にあって、以前、報告者は、「翼賛政治」体制の形成と政党人の関係を検討し、翼賛政治会の政務調査会委員が内閣各省委員を兼任したことによって、翼政政調会に政府の政策形成に参加する可能性が開かれたことを指摘したことがある。このような視点から、本報告は、内閣各省委員制の展開について検討を試みる。具体的には、太平洋戦争遂行のための重要な政策課題であった、産業再編成問題における商工省委員の活動を一例として、内閣各省委員の制度と実態、太平洋戦争期の政策過程の構造にアプローチしたい。