2004年度 東洋史部会発表要旨

1.一八世紀のアユタヤ朝・暹羅と清朝の米穀貿易

広島大学 田中 玄経

 康煕六一年(一七二二)の勅諭により清朝は福建などの諸地方の食糧事情を改善するために、暹羅からの米穀輸入を決定した。暹羅側は勇躍して輸出したが、雍正二年(一七二四)に最初の輸出船が到着した時に清朝が下した決定は、輸入の一時停止であった。この決定の背景には朱一貴の乱以降停止していた台湾からの米穀移入再開などの事情が隠れている。しかし雍正五年(一七二七)には早くも輸入の再開を決定している。乾隆時代に入ると、積極的に米穀輸入をするようになり、様々な奨励策を打ち出した。その中でも乾隆一六年(一七五一)の購運してきた米穀数に応じて職銜などを与える議叙の制度が始まると、爆発的に購運数は増加していった。だがそれも長くは続かず、乾隆二四年(一七五九)以降は低迷していった。簡単な動向は上記の通りであるが、実際米穀貿易はどのように推移していったか、その背景にあったのは何であったか、商人にとって利益はあったのか、などを考察していく。

2.宋代における書文化の伝播と生成

広島大学 津坂 貢政

 近年、詩や絵画などの文化史研究から斬新な成果が多く発表されている。絵画史研究では、従来までの描かれた作品の筆致や構図のみの分析だけでなく、絵画を描く作者の社会的立場や鑑賞される場、絵画が商品・贈答品として扱われ流通する経路など様々な角度から作品の周辺や作品が生み出された社会を考察し、それを読み解く研究がなされている。本報告では、かかる一連の動向をうけて、書法史とくに宋代の書文化について考察する。まず、書を学び鑑賞する際には不可欠な「法書」を書文化の媒体とし、その流通・収蔵の実情を主に題跋史料を用いて考察する。次に、その分析結果も踏まえ今日宋代の書文化を代表する存在として自明のように認識される蘇軾・黄庭堅・米らと彼らの作品が、いかにしてそのように認識されるに至ったのかについても検討したい。さらに、彼等は文化人であると同時に官僚でもあり、その政治的立場と芸術活動との関連についても言及したい。

3.南宋の米市場圏と行塩地

福岡女子大学 後藤 久勝

 唐代後半以降に実施された塩の専売制においては、塩はその産出地に従って販売地が規定されていた。この公定塩販売区域が行塩地である。行塩地は、換言すれば塩の流通圏であり、その設定が商業流通に及ぼした影響は小さくないと考えられるが、行塩地のそうした側面についてはこれまであまり顧みられることがなかった。本報告では、南宋の米市場圏と行塩地との関係を明らかにし、それによって行塩地が市場圏形成に果たした役割の大きさを実証してみたい。南宋の米市場圏は、塩流通圏である行塩地を基礎として成立したものであった。さらに右の考察と併せ、行塩地それ自体の成立の条件、とりわけ行塩地の設定に政府の意向がどの程度反映したのかという問題についても触れてみたい。

4.GIS援用による戦前期東アジア絵葉書データベースの構築

島根県立大学 貴志 俊彦

 戦前の東アジアの風景、人物、出来事などを映し出す絵葉書は、帝国日本が東アジアをいかに捉え、描いていたかを検討するうえでの貴重な画像資料群でありながら、従来これらの資料ストックに欠けていた。島根県立大学では、北東アジア地域に関する各種資料情報の国際的な拠点をウェブ上に形成する計画をたてており、本年度はこれら散逸しがちな画像資料によるデータベース・システムの構築を計画している。このGIS(地理情報システム)援用による斬新な画像検索システムを構築するため、地域情報学研究会(京都大学東南アジア研究所)との提携によって、以下の機能を有するソフトウェアを開発する予定である。(1)GIS部の表示・操作機能、(2)Flash Playerによる全般的な表示機能、(3)各検索項目によるデータの検索機能、(4)データの追加・修正・削除を行う管理メニュー機能。部会報告においては、この絵葉書データベースのテスト版を公開し、多様な意見を募り、完成版への糧にできれば、と考えている。

5.清末における「東洋史」教材の漢訳-桑原隲蔵著述「東洋史」漢訳教材の考察-

広島大学 鈴木 正弘

 桑原隲蔵の「東洋史」教科書は、戦前日本における「東洋史」教科書の主流をなす。桑原の東洋史界に果たした役割は大きく、彼の「東洋史」教育に果たした役割の大きかったことも人の知るところである。実は、桑原「東洋史」教科書の漢訳書は、清末期の中国においても持てはやされ、たとえば「東洋史は殆ど桑原氏の『東洋史要』に過ぎたるものは無し」(公奴「金陵売書記」)と述べられている程なのである。報告者は、桑原「東洋史」教科書の漢訳は、中国の歴史教育の展開を考える上で重要な課題を内包するものと考える。桑原「東洋史」教材漢訳の全体像は、明らかとは言い難いものの、日本においても都立中央図書館実藤(恵秀)文庫架蔵の諸本を確認することができる。筆者は今回、広島大学図書館杉本(直治郎)文庫架蔵書を確認することができた。本報告は、これらの一連の書籍の考察を通じて、清末期における漢訳歴史教材の動向を探ろうとするものである。

6.全面抗戦期、中国共産党の政治過程に関する一考察

大阪外国語大学 田中 仁

 一九三七年七月の盧溝橋事件を発端とする日中全面戦争は翌年一〇月の武漢・広州失陥以降膠着状態となり、中国政治は新たな局面を迎えた。それは、「抗日」を共通課題とする国民党と共産党との政治的連携を前提として、中国が有するあらゆる資源を「抗日」のために動員することを基本的特質とするものであったが、政府軍が軍規違反を口実として中共系の新四軍九〇〇〇を殲滅した四一年一月の皖南事変は、国共関係に甚大な衝撃を与えるとともに、中国政治を大きく変容させることになった。本報告では、武漢・広州失陥から皖南事変にいたる二年二ヶ月余の時期における中共権力の中枢部分の実態を確認した上で、〈中央―地方〉関係および〈党―政〉・〈政―社〉・〈党―社〉の各関係において、個々の指示や方針がどのように伝達・実施され、あるいは策定されていったのかを検討することによって、当該時期の中共の政治過程を再構築してみたい。