2005年度 西洋史部会発表要旨 |
1.アッシリア王室書簡研究 -宗教行事を中心に-
広島大学 木原 まや
紀元前七世紀アッシリアはバビロニアを支配下におさめ世界初の帝国となっていたが、その統治には書記や神官、占い師といった「学者」が王のアドヴァイザーとして影響力を持っていた。彼らが王と頻繁に交換した書簡は、現在までに断片も含めると約三〇〇〇点が知られており、その多くはニネヴェの王室文書庫から出土したものである。 近年進行しているアッシリア史の基礎資料の編纂事業のひとつに、S・パルポラを中心に一九八五年に発足したState
Archives of Assyriaがある。これは王室文書庫から出土した王室書簡、誓約文書、文学等の史料群を体系的に再編集・翻訳するプロジェクトである。本報告ではこのプロジェクトについて紹介しつつ、ここに編集された書簡の解釈を通して、特に宗教的行事、神殿建築等において「学者」たちが果たした役割を検討したい。
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2.ムラシュ家文書にみるアケメネス朝ペルシア治下のバビロニア
広島大学 田端 理子
聖都ローマが、いわゆる「フランク人の道」Via Francigena 経由で北方かアケメネス朝の統治システムについて従来の研究では、ヘロドトスの報告に基づいたサトラップを利用する統治システムを記述後、個別の事実の羅列的な説明が行われてきた。では、具体的な統治の実態やアケメネス朝が与えた影響とはどのようなものであったのか。本報告では、楔形文字史料であるムラシュ家文書を利用することで、紀元前5世紀後半のアケメネス朝治下のバビロニアにおいてペルシアの統治システムの末端に位置する人々がどのような生活を営んでいたのか土地に焦点をあてて考察したい。ムラシュ家は、バビロニアで農業経営や商業活動を行っていた有力な一族である。ムラシュ家の主要な業務は、統治システムである王による土地授与に直接関係したわけではないが、ムラシュ家が様々な土地の管理を引き受けることで結果的に土地授与システムに関与していたことを検証したい。
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3.エリザベス治世期における下院議席の創設
慶應義塾大学 仲丸 英起
テューダー朝議会史研究における大きな問題の一つとして、急激な下院議席の増加が挙げられる。ヘンリ七世即位時に二九六であった議席数は、エリザベス一世末期に四六二にまで増加したのである。従来この問題に対しては、国王による恣意、ジェントリの勃興、議事の円滑な遂行等様々な視点からその原因が探求されてきたが、いずれのアプローチもこの現象を十分に解明するには至らなかった。本報告では特にエリザベス治世期に着目し、まず創設議席選出議員の活動頻度と活動内容を検討し、続いてその中でも特に活動的であった議員を中心にその活動動機の分析を試みる。これらの検証を通じて、下院議席の創設が一六世紀イングランド政治社会の文脈において有していた意義を考察してみたい。
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4.一八世紀ブリテンにおけるスコットランド書籍業者とイングランド書籍業者の対立―コピーライトをめぐる論争を中心に-
広島大学 佐々木 礼
近年の一八世紀イギリス史研究では、Britishnessの形成過程の分析が注目を集めている。すなわち一七〇七年にスコットランドとイングランドが合邦して大ブリテンが誕生し、両地域を包摂するアイデンティティが形成され、一体感が強化されたというものである。本報告では、その最中の一八世紀半ばに起こったスコットランドとイングランドの書籍業者の間に生じたコピーライトをめぐる論争を扱う。両地域で出版物の流通が活発になるにつれて対立は激化した。本報告では、主にスコットランドの側からこの問題を検討し、それが単なるコピーライトの問題だけでなく、スコットランドの法、文化、アイデンティティをめぐる問題でもあり、Britishnessの問題は従来考えられた以上にもっと多層的なアイデンティティの中で捉えられるべきであることを主張する。
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5.一八六〇年代の上海共同租界におけるShanghai Municipal Councilの改革問題-参事会員トマス・ハンバリーの活動に注目して- 広島大学 西野 大樹 本報告では一八六〇年代の上海共同租界で起こったShanghai Municipal Council(S. M. C.)の改革問題を、トマス・ハンバリーの活動を中心に検討する。彼に注目することの意味は、従来、S.
M. C.のメンバーは自分たちの権益だけを考え行動したとされているが、彼は他のメンバーとは異なって好意的な中国人観を持ち、中国人の地位の改善を求めた人物だからである。彼は会議で、参事会のメンバーや警察官に中国人を登用すべきなどと注目される提案を行っている。そこで、主にS.
M. C.の年報を史料として用い、ハンバリーの政策的意図と彼の思想的背景を明らかにし、それがS. M. C.の改革動向にいかなる影響を及ぼしたかということを考察する。 |
6.北西部メイヨー州からみる「アイルランド農民土地戦争」―J. デイリの土地同盟における活動を中心に-
広島大学 高口 佳奈
一八七九年六月、アイルランド北西部メイヨー州のアイリッシュタウンにおいて、農民集会が開催された。これは地主に反発する農民運動、「アイルランド農民土地戦争」の始まりとして位置付けられる。以降、運動がアイルランド東南部の富農層を取り込んでいく過程で主導権は東南部へ移り、土地追放からの防衛・救済を求める北西部メイヨー州の零細農らは運動から取り残されていった。本報告では、メイヨー州の人々にとってこの運動がいかなるものであったかを明らかにするため、J.
デイリに注目する。メイヨー州の富裕農であった彼は、零細借地農の土地をめぐる要求をくみ取り、それを中央のダブリンへ積極的にアピールし続けた。このことは彼が富裕農という立場をこえて、メイヨー州全体の経済・社会・文化の振興を目指すものであったことを、メイヨー州の地方新聞「コナハト・テレグラフ」における彼の言説から明らかにする。
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7.一九〇二年教育法再考 -スタッフォードシャーにおける教育行政の考察から-
広島大学 大野 浩之
現行のイギリス教育行政システムを形成した1902年教育法についての考察。その伝統的なものにサイモンによる考察がある。彼は、英国教会と非国教会、保守主義と社会主義・急進主義などといった対立構図の中で、中央政府の法立案者がその法に込めた政策的意図を考察することから、イギリス教育におけるその法の位置付けを行った。本報告では、このサイモンによる評価を、地方、特に中部の産業都市であるスタッフォードシャーと、その初代教育委員会委員長バルフォアに注目して再考する。教育の現場にあった人々は、一九〇二年教育法に対してサイモンと同じような認識を持っていたのか。もしそうでないなら、どうそれを解釈し、実践していたのか。こういった実態を描き出すことによって、一九〇二年教育法の歴史的位置付けに対する新しい見解を導き出す。
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8.第一次世界大戦期における日露接近 -システム論の視点から-
九州大学 バールイシェフ・エドワード
一九一六年七月三日に締結された日露秘密同盟協約に象徴的に現れた第一次世界大戦期における日露接近は日露関係史においても、また国際関係史においても異例で奇妙な現象であったが、先行研究ではあまり注目されてこなかった。報告者の考えでは、この日露接近の背景にはPax
BritannicaからPax Americanaへの移行という極めて重大な意味を持つ世界システムの再編成のプロセスが秘められている。本報告では、システム論の視点から同時代の国際政治を分析し、日露接近の論理を明らかにしたい。第一次世界大戦期における日露接近に対するシステム論の適応はこの国際関係史的な意味合いを解明するとともに、国際政治の力学に新たな照明を当てることになるであろう。
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9.新生期スイスにおける連邦論 -I.P.V.トロクスラーを中心に- 大阪大学 森本 慶太 新生期(1830-48年)のスイスでは、国家統合のあり方をめぐって、中央集権を進める勢力と従来の国家連合の維持を求める勢力の間で、激しい議論が交わされていた。トロクスラーIgnaz
Paul Vital Troxler(1780-1866)は、その議論の渦中にあって、連邦制の導入を一貫して主張した人物である。彼は、従来のスイス再編論議を妥協的なものとして批判的にとらえ、スイス史の理念に国家の正統性を求める連邦憲法の構想を練った。そのスタンスは、政治的諸事件を通じて困難な状況に追いこまれても変わることなく、内乱終結後の憲法制定論議において、ようやく理解を得られるようになった。本発表では、従来のスイス史研究において、位置づけがはっきりしなかったトロクスラーと彼の連邦論を考察することで、現在にいたるスイス連邦制の源流を明らかにしたい。 |
10.ワイマル共和国におけるナチズムの政治的暴力に関する一試論-ベルリンでの街頭闘争を中心に- 鳴門教大学 原田 昌博 ナチズム運動の社会的基盤に関する近年の研究は、かつてのようにそれを中間層の運動と捉えず、むしろ労働者層も取りこんだ広範な結集運動とみなしている。労働者のナチス支持がこれまで想定されてきた以上に高いものであったとすれば、次に問われるべきは労働者がどのような形でナチズム運動に糾合されていったかということであろう。本報告では、ナチス突撃隊(SA)の活動、とりわけワイマル共和国後半のベルリンでの街頭闘争を事例に、試論的ではあるが、ナチズム運動と労働者のつながりの一端を考察していく。この時期の街頭闘争は象徴闘争や政治的暴力の行使という形で発現したが、注目すべきはベ |
11.ナチス期における労働者「統合」と余暇組織 -『ドイツ通信』の分析を中心として- 広島大学 景山 淳史 ナチスの余暇組織「Kraft durch Freude(喜びを通じて力を、以下KdF)」は、旅行や演劇・演奏会といった文化的な催し、スポーツの講習会などを安価で企画し、多数の参加者を有する一大組織へと成長した。この実績はブーフホルツを始めとする後年の研究においても高く評価され、それ故にKdFがナチスの労働者「統合」に寄与した組織として描かれている。しかしながらそれを労働者の側がどのように感じ、行動したのか、すなわちKdFに対する意識や態度の問題についてはあまり触れられていない場合が多いように思われる。本報告では、亡命社会民主党編集の『ドイツ通信』における記述からKdFに関するものを抽出しその内容を分析することで、前述の問題の検討を試みる。その際にナチスの側の「理念」と「現実」がどの程度関わり合うのかを視野に入れながら、ナチスの労働者「統合」の一側面を提示する手がかりとしたい。 |
12.『褐色の司祭』に見るナチス期のカトリック教会 京都大学 島田 勇人 激しい反カトリック政策が吹き荒れていたナチス期、ヒトラーに忠誠を誓うカトリック司祭たちがいた。彼らはナチスと教会の和解を訴え続け、時には教会政策において指導的な役割を果たしてさえもいた。彼ら「褐色の司祭」は従来、カトリック教会とナチスの関係における例外的なエピソードとして切り捨てられてきた。その背後には、当時大半の司祭がナチスと対立関係にあった、という理解が存在する。しかし本発表では彼らを単なる「裏切り者」として例外視するのではなく、カトリック教会の自己批判者として捉え直すことを目標とする。分析の際には、体制中枢で活動した司祭の論文・著作、教区レヴェルで活動していた司祭に関する教会史料を用いる。この作業によって、カトリック教会がナチスに対して組織的に決然たる対応を取ることができなかった要因を描き出すことにもなろう。 |