2007年度 考古部会発表要旨 |
1.下本谷遺跡について-後期旧石器時代初頭の石器文化の報告- 広島県立歴史民俗資料館学芸課主任学芸員 三枝 健二 下本谷遺跡は三次市西酒屋町の丘陵に所在し、昭和五三(一九七八)年に西酒屋配水池建設に伴い発掘され、約三〇×一九m程の遺物の分布を検出した。分布の中央部付近に集中部と無遺物空間を持ち、石器・礫類の殆どが流紋岩類で、一部に水晶・石英、安山岩も見られた。遺物はナイフ形石器、鋸歯縁状石器、折断面のある石器、彫刻刀形石器、掻器、削器、錐形石器、石斧、ハンマーストーン、剥片、石核、砕片など一〇一点と、礫、破砕礫一一二点である。岩質分布は、安山岩以外は全て遺物集中部分で重複、異なった岩質で同種の石器を製作するなど、比較的短期間で形成された可能性がある。遺物の接合率は低く、遺跡への持込や持出しが考えられる。縦長状や横長の剥片も見られるが、打点の移動や打面が転移する不定形な剥片の生産が中心である。ナイフ形石器や石斧の存在などから、当地域におけるナイフ形石器成立期で後期旧石器時代初頭を想定している。 |
2.二〇〇七年度帝釈大風呂洞窟遺跡の発掘調査について
広島大学 山手 貴生・松波 静香・竹広 文明・古瀬 清秀
帝釈峡遺跡群の発掘調査は二〇〇七年度で第四六次を迎えた。今年度は帝釈大風呂洞窟遺跡(第一二次)の調査を実施し、昨年に引き続き、洞窟テラス東半のD・E‐四・五区、F‐五区を対象に平面的な調査を行う。昨年までの調査によって洞窟テラス東半の第二層では、古代~中世の炉跡などの遺構が重複して認められることが明らかとなっているが、まだ一部残存する第二層の調査により、古代~中世の全体像を確認していく。その後、第三層以下の縄文時代の生活面を調査していく。遺跡の西半の調査によって、第三層からは縄文時代後期の遺物が出土することが明らかとなっているが、遺跡の東半で平面的な調査によりその広がりを検討し、縄文時代における利用形態について明らかにしていきたい。
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3.島根県隠岐黒曜石原産地の調査について
広島大学 竹広 文明
島根県隠岐は、中国地方では代表的な黒曜石原産地である。隠岐産黒曜石は、旧石器時代以降、石器の石材として中国地方を中心とした西日本において広く利用されていたと考えられている。しかし、原産地隠岐では、これまで黒曜石の採取状況を示す具体的な遺跡は明らかとなっていなかった。筆者は、隠岐の黒曜石原産地の一つ加茂に原産地遺跡の存在する可能性を以前指摘していた(竹広一九九九「旧石器時代における隠岐産黒曜石の獲得と利用をめぐって」『地域に根ざして』)。二〇〇五年には、加茂の黒曜石産出地で試掘調査を実施したが、石器類が出土し遺跡の存在を確認し、加茂サスカ遺跡として登録されている。二〇〇七年度は、九月中旬に発掘調査を実施するが、こうした隠岐黒曜石原産地をめぐる調査研究成果について報告したい。
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4.高屋東2号遺跡の発掘調査 (財)東広島市教育文化振興事業団文化財センター 植田 広 本遺跡は、東広島市高屋町高屋東に所在し、入野川南岸の標高二二七m~二三三mの丘陵上に位置している。調査は、一般国道三七五号(東広島道路)道路改良事業に伴い、二〇〇六年五月から二〇〇七年三月まで実施した。調査の結果、弥生時代の土坑墓六〇基、古墳一三基、溝状遺構二条、性格不明遺構1などを検出した。古墳群は、丘陵の頂部から斜面にかけて近接して築造されている。古墳の墳丘は直径四~八mの円墳で、各々周溝が巡る。埋葬施設は主に箱形石棺である。主軸は東西方向で、頭位は東に置いたと考えられる。築造時期は、出土遺物から五世紀代が推定できる。弥生時代の土坑墓を数多く確認したが、古墳群との重複はみられなかった。主軸はほぼ等高線に並行しており、墓標石と思われる石や弥生土器を伴うものである。土坑墓群の時期は、弥生時代中期と考えられる。当該地域の弥生時代から古墳時代の墓制を考える上で貴重な資料を得ることができた。
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5.高屋東3号遺跡の発掘調査
(財)東広島市教育文化振興事業団文化財センター 増田 晴美
本遺跡は、東広島市高屋町高屋東に所在し、入野川南岸の標高二二七~二三三mの丘陵上に位置している。調査は、一般国道三七五号(東広島道路)道路改良事業に伴うもので、平成一七年五月から平成一九年三月まで実施した。調査の結果、弥生時代の竪穴住居跡一一軒、掘立柱建物跡一一棟、土坑六基、土坑墓一一基、溝状遺構五条などを検出した。竪穴住居跡は調査区北側と中央部に集中して検出された。張り出し部や排水を目的とした溝状遺構が付属したものもある。年代は弥生時代中期から後期と考えられる。土坑墓群は主に調査区の南側で検出した。主軸は東西方向で、溝で墓域を区画している。当該地域の弥生時代を知る上での貴重な資料を得た。
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6.向江田中山遺跡の発掘調査
(財)広島県教育事業団埋蔵文化財調査室 渡邊 昭人
向江田中山遺跡は三次市向江田に所在する。本遺跡は丘陵尾根部に位置し、北側には小河川である菅田川を中心とした水田地帯が広がる。比高は約二五メートルである。調査は中国横断自動車道尾道松江線建設事業に伴い、平成十八年度に実施した。調査の結果、飛鳥時代(七世紀前半~中頃)の竪穴住居跡四軒、掘立柱建物跡六棟、竃跡と思われる遺構一基を検出した。竪穴住居跡は調査区南側に、その他の遺構は調査区北側から中央に位置する。注目すべき点は掘立柱建物跡が計画的に配置されていることである。特にSB五・六は平坦面を造成し溝で区画しており、竃跡を伴う。またSB七は総柱建物で高床倉庫と考えられる。これらのことから、本遺跡は村の有力層が居住する集落と思われるが、計画的な建物配置が示すように、官衙関連遺跡の可能性もある。
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7.佐田峠墳墓群発掘調査の調査成果について 広島大学 斉藤 礼・野島 永・古瀬 清秀 今年度より広島大学考古学研究室で調査を開始した広島県庄原市佐田峠墳墓群の調査報告を行う。佐田峠墳墓群は広島県庄原市宮内町に所在し、遺跡内には五基の墳墓が認められる。今回は調査初年度のため、詳細な地形測量を主に行った。以前、庄原市教育委員会によって掘削されたトレンチの確認や、遺物の表面採集も行った。その結果、各墳丘墓の現状での墳丘形態をとらえることができた。また、遺跡の南に隣接する佐田谷墳墓群は、初期の四隅突出型墳墓群として考えられており、弥生時代後期初頭に位置づけられている。佐田峠墳墓群の出土土器はそれより少し以前の中期末のものであることから、より四隅突出墓の初現形態に近いと考えられる。これらの比較研究のためにも、今後墳丘墓の形態・規模・埋葬施設の様相の調査を継続していく予定である。
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8.破片銅鐸に関する研究
広島大学 岩崎 佳奈
現在、近畿地方を中心におよそ500の銅鐸が出土している。弥生時代、共同体の祭器として用いられた銅鐸は、通常埋納された状態で出土するが、数は少ないものの破片で出土するものがある。これらは完形の銅鐸とは異なり、埋納されず、集落や遺物包含層より単体で出土する場合が多い。銅鐸の成分は中国鏡とは異なり錫の含有量が少なく、単に落下した程度で割れることは稀であろう。祭器として丁重に扱われたはずの銅鐸が何故破片になったのか。本発表は出土状況や歪みを基準とした、故意かどうかの判断や、小銅鐸などの銅鐸関係品との比較を通して、破片銅鐸の意味に迫ることを目的としたものである。また、一部の地域では破片銅鐸から政治性を読み取ることができる可能性についても指摘したい。
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9.古代における鬼面文鬼瓦の研究 広島大学 下元 優 古代の鬼瓦は、奈良時代に平城宮の造営に際して大量生産が開始されたことにその製作における画期が認められる。当時は笵型による施文で、平城京内におけるその文様の分類と編年は毛利光俊彦によって行われている。
本発表ではおもに奈良時代、平城宮式鬼瓦の外縁部に着目し、笵型の形式とその変遷を想定した。それを製品の質の向上という点での鬼瓦工人の試行錯誤の結果と考え、一部の鬼瓦の特殊な制作工程として外縁のいわゆる「後付け」があり、さらに笵型の分割によって作業をより円滑に進めていったことを想定した。
こういった視点は、その大きさや使用場所、所要数などから、鬼瓦の瓦としての属性が基本的に軒瓦などとは異なっていたことを前提に考えている。資料の面から鬼瓦の制作における体制、技術などに独自のものがあったことを示すものである。 |