2010年度 文化財学・民俗学部会発表要旨 |
1.女房装束について
広島大学 周成梅
日本の女子服飾史において、格調高い日本的な匂いのする装束の一つに女房装束がある。俗に十二単というこの衣裳は、着用順によって袴、単、袿、打衣と表着、裳、唐衣よりなることが既に明らかとなっている。しかし、この装束に関する今までの研究成果は、いずれも通史的な概説にとどまっており、詳しい展開がなされていない。
古文書や古記録などの文字資料を改めて詳細に分析し、また、神像などの彫刻資料や、絵巻物などの絵画資料を検討に加え、女房装束を構成する袿と唐衣に焦点をあてて、考察を試みたい。特に唐衣の起源を中国の背子に求める従来の説に対して、中国側の資料を用いて再検討を加えたい。また、当時の住宅建築である寝殿造りとの関連性という新たな視点から、その成立に関して分析してみたい。
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2.高野山金剛峰寺所蔵「血曼荼羅」について
広島大学 田中 あみ
高野山真言宗総本山金剛峯寺所蔵、重要文化財「絹本著色両界曼荼羅図」は、現存する日本最古の彩色両部曼荼羅図であり、弘法大師空海が唐から持ち帰った根本曼荼羅の原図に近い作例のひとつとされている。「血曼荼羅」という呼称は、12世紀半ば、鳥羽上皇の命により焼失した根本大塔の再建事業の建立奉行を勤めた平清盛が、絵仏師常明に命じて自らの血を絵の具に混ぜ、中尊の大日如来を描かせたとの寺伝に拠る。7枚の絹を横継ぎにした4メートル四方に及ぶこれらの巨幅は変褪色が激しい。
今発表では、図像的に酷似すると評価されている神護寺所蔵国宝「高雄曼荼羅」はじめ、正系現図曼荼羅を紹介しながら、その中における「血曼荼羅」の位置付けを概観し、その美術史的価値を再検討したい。また、その図様の描写を細部にわたって観察することで、これまであまり研究が行われてこなかった本図について、新たな評価を与えることを期するものである。
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3.延暦寺所蔵不動明王三童子五部使者像について
広島大学 松島 千穂
延暦寺本は縦131・8㎝、横91・6㎝の絹本着色画で、自然景の中に諸尊を配する。延暦寺本と類似の図像を持つ彩色本は、園城寺本、来振寺本、個人本等が挙げられ、(このうち背景を描くのは延暦寺と個人本のみである。)この形式の図像は『別尊雑記』の記事によって、智証大師請来図様であることが指摘されているが、延暦寺本を主とした論文はない。
延暦寺本の上部は大きく剥落するが、尊像周辺の彩色はよく残っており、暗い色の諸尊に対して、その周囲の炎や山水を明るく彩色することで、尊像を浮き上がらせるという画面構成の意匠が窺える。
また、尊像は肥痩の少ない太めの線描で引かれている。条帛や裳の線描をみると所々途切れ、これは立体としての意識が乏しいことが言え、あるいは自然景を含めた祖本の存在を想定できるかもしれない。
本発表では、表現等の考察によって制作年代に言及し、延暦寺本の美術史上における価値について検討する。
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4.キリスト教関連の輸出漆器―特に書見台について 広島大学 杉山 奈都穂 近世を通じて、日本の漆器は海外に輸出されていた。それらは輸出漆器と呼ばれ、中には、イエズス会紋が付され、キリスト教との関連を示す器物も確認できる。キリスト教関連の輸出漆器は、輸出漆器の最も初期の段階に位置づけられ、16世紀末から17世紀初めにかけて、日本でキリスト教布教が行われ、ポルトガルやスペインと貿易をしていた時代の作例と考えられている。 本発表では、こうしたキリスト教に関連する作例のうち、書見台を取り上げ、脚の刳型、意匠等に着目し、比較・検討を行いたいと考える。 書見台は、前後に脚が付くよう板材を組み合わせて製作され、折りたたみ式となっている。ほとんどの作例は、書見板の中央にイエズス会紋が施されている。また、意匠は、幾何学文が充填されている作例や、植物が表されている作例などがある。 |
5.明治期の竹原塩田の地場作業について
広島大学 村松 洋子
竹原塩田では、明治一八年に竹原塩業者組合が組織され、利益を目的とせず、専ら製塩の改良増進が図られた。塩の販路拡大、売り捌きは問屋に委ねられた。明治三九年、竹原塩業同盟会社と改め、法人組織に変更する。このような情勢下にある竹原塩田において『竹原塩田誌』塩政第三巻、第四巻、塩業第一巻から浜業について究明した。 竹原塩業者組合は、明治一九年浜業を替持法に、明治二〇年に三ケ一持法に立て続けに地場作業の変更を決議した。地場作業は日持法・替持法・三ケ一法により浜子の労働内容に変化が生じた。三ケ一持法で行われる作業は替持法より工程が増加した。しかし沼井の大型化により鹹水の滴下が速くなり、水取り(鹹水採取)作業に早く取りかかれることになった。その結果、労働時間が短縮された。浜業の改変が浜子(入浜塩田の賃金労働者)の雇用形態を変化させた。経営者である塩業者と浜子の関係・浜子労働と浜業の関係を究明する。
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6.伝統的工芸品「広島仏壇」について (1)
広島大学 伊藤 奈保子
日本における伝統的工芸品「仏壇」について、社会史、経済史、美術史、宗教史等、分野を横断して学際的に研究された論文は少ない。今回より「広島仏壇」に焦点を当て、多角的な視点から考察するとともに、今後の課題、展望について検討を行っていきたい。本報告では、二〇一〇年の現状を詳細に把握し、論を展開することとする。
「広島仏壇」は、「広島宗教用具商工協同組合」の記録によると、「商部(主に卸売)」「工部(製造者)」の二部門に別れ、二〇一〇年七月現在、「商部」一一社、「工部」二六社、計三七社が加盟している。工部は木地師、狭間師、宮殿師、須弥壇師、錺金具師、蒔絵師、塗師・箔押師に分かれる。過去最大であった一九七七年の記録が、「商部」一六社、「工部」七八社の計九四社であったことを鑑みると、この三三年間に約六割が減少したこととなる。この要因の一端は、台湾、韓国を始まりとして、一九七九年以降の経済改革開放による中国での仏壇製造の開始、及び諸外国からの輸入製品の増大にあり、また日本人の生活形態の変化等が大きく影響しているものと考えられよう。
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