2014年度 西洋史部会発表要旨

一、一二世紀聖地国家における聖ヨハネ騎士団領の拡大・形成―土地領有の形態と在地勢力―

広島大学大学院博士課程前期 長谷川 侑也

 一〇九六年から始まる第一回十字軍遠征の結果、聖地国家と総称される四つの国家がシリア地方に建国された。伝統的な封建社会論の文脈で研究がなされてきた聖地国家であるが、近年では、国家の存亡に関わる要素を多分に含みつつも、約二〇〇年間存続しえた理由に関心が集まり、従来「封建外」と見なされてきた要素に注目することでその説明が試みられている。なかでも、騎士団は重要な防衛要素であり、とくにイェルサレム王国では国王の政治的アドバイザーをも担っていたとされる。しかし、聖地国家において騎士団がその勢力を拡大した過程は十分に説明されていない。それゆえ、本報告では、所領の拡大過程を綿密に検討することにより、騎士団の政治的勢力がいかなる形で拡大しえたかを明らかにする。

二、 一〇―一一世紀クリュニー修道院への贈与と売却の持つ多義性とその選択的な利用

熊本大学非常勤講師 法花津 晃

 西欧中世における修道院への贈与の問題は、これまで「pro anima」など霊的動機の観点や所領形成など経済的な観点から分析されてきたが、近年は贈与が持つ多様な社会的意味から検討されているメモリア研究、紛争解決研究、贈与経済など)。だが、B. ルメスルが指摘するように、最近はその社会的意味が過度に強調されているため、その霊的・経済的意味の側面が軽視されている。

 本報告では、一〇―一一世紀にクリュニー修道院に対して贈与と売却が同時に実施された事例、あるいは部分的に贈与し部分的に売却が実施された事例を検討する。贈与と売却が社会的意味の面でも法行為の面でも区別されていたことに着目し、法行為者が贈与と売却を区別した目的、修道院が諸権利の獲得のために区別を利用した方法、そして修道院への贈与と売却が持つそれぞれの霊的・経済的・社会的意味を明らかにする。

三、 フランス王権とニコポリスの敗戦  ―『嘆きと慰めの書簡』の分析から―

佛教大学通信教育課程非常勤講師 竹中 徹

 一四世紀末、バルカン諸国を征圧しドナウ河畔へと迫るオスマン軍に対し、ローマ教皇およびアヴィニョン教皇は各々、異教徒に対する戦いを宣言し、新たな十字軍が組織された。しかしこの十字軍は、一三九六年ニコポリスの地において惨敗を喫することとなる。

 この時期の西ヨーロッパはシスマによって二分され、さまざまな対立が存在しており、このオスマンの脅威に対し一枚岩ではなかった。こうした内憂外患の状況において、フランス王権はキリスト教世界においてどのような役割を果たすべきと考えられたのか。またシャルル六世の狂気の発作やブルゴーニュ侯の動向は、この議論にどう影響を与えたのか。

 当時の政治著作家の1人であるフィリップ・ド・メジエールにより、敗戦の報を受けて作成された、『嘆きと慰めの書簡 l’Épistre lamentable et consolatoire 』の分析を通して、フランス王権周辺において存在していた思想を考察する。

四、初期王立協会における科学者のネットワークと「科学」―オルデンバーグの書簡集の分析を中心として―

広島大学大学院博士課程前期 石川 優水

 一七世紀のヨーロッパは、近代科学の概念的、方法論的、制度的な基礎が確立したことから、「科学革命」の時代といわれている。当時のイギリスでは、国内初の科学組織である王立協会が設立され、科学に関する議論や実験が行われた。

この王立協会の初代事務局長を務めたのが、ヘンリ・オルデンバーグである。彼は科学情報のネットワークを構築したのみならず、学術雑誌『フィロソフィカル・トランザクションズ』を創刊し、王立協会をヨーロッパの科学の拠点の一つに引き上げたのである。

彼は在職中に国内外の科学者間の意見交換や論争の処理に携わっており、その間に彼が記した書簡が現存している。本報告では、この書簡集の分析を試みながら、彼が構築しようとしていた科学者のネットワークの実態や、彼の「科学」に対する認識について明らかにしてみたい。

五、出版の自由と市民社会―バーデン大公国における自由主義者の理念と活動―

慶應義塾高等学校 木村 航

 本報告はドイツ連邦のバーデン大公国を対象に、一九世紀前半の自由主義者の社会理念を再考するものである。自由主義者の社会理念については、これまで一九七五年のL・ガルの主張が議論のたたき台になってきた。それによれば、一九世紀前半の自由主義者は自立した家父長からなる共同体である「階級なき市民社会」を目指していたというものであった。本報告ではカール・T・ヴェルカーの著作や議会での演説を手掛かりに、出版の自由に関係する見解の背後にガルのテーゼと親和性のある理念があることを指摘したい。

六、フランス第三共和政前期(一八七〇―一九一四年)における議会政治の行動規範―下院の議会規則をてがかりに―

京都大学大学院博士後期課程・日本学術振興会特別研究員DC2 谷口 良生

 フランス第三共和政は、議会、とりわけ下院の権力が強い「議会共和政」として知られている。本報告の根本的な問題関心は、そのような第三共和政の議会政治がどのような論理にもとづいて展開されていたかを明らかにすることである。その際に、近年、議員研究で広く受け入れられているプロソポグラフィ研究(集団的伝記研究)が、議員の社会史的な側面に光をあててきたことを重視し、彼らの政治的あるいは社会的な経験から、議会政治を捉えなおす必要があると考えている。

 そこで本報告では、議員の政治的経験として、議会内での彼らの政治的行為に着目し、それらの行為を規定する規範を明らかにするために、下院の議会規則に着目したい。第三共和政前期における下院規則の修正をめぐる議論を通じて、「議会」や「議員」とはどうあるべきか、という点について、議員が抱いていた認識を明らかにすることで、議会政治の行動規範を明らかにする。