シンポジウム趣意書

「フィールドワークにみる水辺の人々」

いきなり非学問的な言葉を持ち出すが、「勝てば官軍」という慣用句が日本には存在する。実際、歴史を振り返れば、戦争、政争などで勝利した側が「正統」「正義」とみなされ、敗れた者や周辺に追いやられた側には「賊」「偽」などのレッテルが貼られることが常である。歴代中国王朝の正史編纂の目的がそのレッテル貼りの典型的な例であることは会員諸氏もご承知のことであろう。そして勝った側の残した史資料のみに依拠すれば歴史像に歪みが生じるのは自明の理である。

 もちろん、現在の歴史学研究は、勝った側(官)の残した編纂史料のみでなされる段階を既に超えている。例えば、同じ官側の史資料を用いる場合でも、情報社会の発達を反映してか、新聞史料(復刻されたものも含めて)や二○一二年度のシンポジウムテーマ「移行期の文書管理」で検討された各公文書館所蔵の未公刊文書を閲覧・使用することが、近現代史研究においては当たり前となりつつある。

 また、古い時代においても、前世紀後半からの社会史研究の隆盛は、勝者vs敗者という視座に立つものではないが、歴史研究の力点が必ずしも政治史に置かれなければならないという発想に対する異議申し立ての側面を持っているのは間違いない。歴史の主役は支配者とは限らない、という主張である。そして敗れた者や周辺とされる側の史資料が中国や日本、ヨーロッパには官側の史資料ほどではないが存在し、自らを「中心」と自己主張することもあることが、昨年度のシンポジウムテーマ「権力の「境界」と地域社会」での検討で確認された。

 しかし、世界を見回した場合、敗者・弱者・周辺と位置づけられた者の主張や歴史が史資料として残らないことが圧倒的に多いこともやはり事実で、ましてや文字すら持たなかった地域では勝者の歴史ですらかすんでしまっているのが実態である。グローバル・ヒストリー全盛の今にあっても、史資料がない故に歴史の空白となっている地域が世界には数多く存在するのである。

 こうした史資料の残存状態の中で、敗者・弱者ないし官とは関係を持たない(持ちたくない)者の歴史を再構成する手法として、注目を浴びているのがフィールドワーク(以下F・Wと略称)である。最近では文学部学生募集でも、地味な?「文献講読重視」を強調するよりも、「F・Wをやっています」の方が学生募集にはアピールするらしい。しかし、F・Wを真摯に行っている研究者にとっては、客寄せのためのこととみなされてはたまったものではなかろう。そこで、今年度本研究会大会シンポジウムでは歴史学研究におけるF・Wの効用や問題などを扱うに至った次第である。

 さて、F・Wの定義や意義であるが、手近にある須藤健一(編)『フィールドワークを歩く―文科系研究者の知識と経験―』(嵯峨野書院、一九九六年)の「概論」にあることを箇条書きにすれば、以下のようになる。

・異なる社会や文化のもとへ入り、そこに滞在し、そこに住む人々の生活や文化、社会のしくみを理解するのがF・W(野外調査、現地調査)である。

・F・Wは人類学の研究手法として開発されたが、社会学、民俗学、地理学や言語学などでも用いられている。

・発掘を伴う考古学や、現地に残る文献を探索したり、歴史や文学の舞台となった現地に身を置き、出来事の背景や人物の生い立ちなどを認識したりすることができることから、歴史学や文学でも広く行われるようになった。

・F・Wの目的は滞在を通して集めたデータを『民族誌』の形にまとめることであるが、その際には情報提供者と収集者の間で認識のずれがないか確認が必要である。つまり情報収集者の質問、情報提供者による質問の理解と回答、回答の文字化収集と解釈、解釈の妥当性の確認、解釈のとりまとめという一連の流れを何度も繰り返すことが必要なのである。また、他の調査者のデータや解釈とのクロスマッチ作業が不可欠である。それを怠ると、文献史資料のように口述データを一時資料として利用することは不可能となる。

・F・Wを行う者の心得として、調査地の中に深く入り込むこと、現地語に習熟すること、長期に住み込むこと、調査地の人々との間に信頼関係を結ぶこと、調査地社会のメンバーになる覚悟をもつこと、F・Wは調査地の人々の理解と好意にすがっておこなわれるものであるという自覚を持ち続けることなどが要求される。

・民族誌には対象地の自然環境、経済活動、社会・政治組織、信仰や宗教といったあらゆる領域のデータが包括されるように記されるべきものである。それゆえ、民族誌は主観的でもなく、客観的でもなく、解釈的なものである。

・調査地の人々の声が浮かびあがり、彼らと調査者との関わりすら明らかとなるような民族誌執筆の方法が現在模索されている。

 

 いかがであろうか?いわゆる文献史学者からすればずいぶんと手法が異なるように見えるが、口述データを文献史資料、現地調査を文書館での調査などと読み替えると、共通点も見えてくる。文献資史料も実はとても「解釈的」なものであることも共通点かもしれない。しかし歴史学であれば『民族(俗)誌』執筆を究極の目的とすることは必須でもなく、手法だけを取り入れるという考えもあり得るであろう。そこで今回のシンポジウムでは、F・Wを実践する民族(俗)学者と人類学者、そして歴史学者を報告者として、「記録を積極的には残さない人々」をどう描くのか、その研究の一端をご披露していただくこととした。それにより、これら学問領域のスタンスの違いや、逆に学際的研究の可能性なども浮かび上がってこよう。対象となる「記録を積極的には残さない人々」は、報告者のご専門に鑑みて、「水辺の人々」とした。

 それでは次に、報告者の方々の報告概要について順に紹介したい。

 まず日本の事例として、印南敏秀氏(愛知大学)が「瀬戸内海の里海と生活の多様性とすみわけ」と題する報告を行う。

 瀬戸内海には多様な自然のなかに多様な生きものがすみ、早くから人々は豊かな自然に寄り添いながら多様な生活を築いてきた。ことに身近な里海での生活では、海産資源を活用する多様な生活技術をうみだし、みんなで協力して互いにすみわけしながら持続的に利用してきた。そこで本報告では、戦後急速に消滅しつつある里海での伝統的生活の意味を、なにげない海辺の暮らしや景観を記録した古写真や、芸予諸島の農漁民に伝承されていた藻や雑魚、鯛の利用についての聞き取り調査からせまってみた。

 一九六〇年代の高度経済成長以降、急速に失われてきた日本の原風景とも言える瀬戸内海の里海をとりあげ、海辺の生活実態について「多様性」と「すみわけ」の観点から具体的に明らかにし、その「共生」のあり方について検討する。

次に、東南アジアの事例として、松井生子氏(国立民俗博物館外来研究員)が「メコン河の水辺に生きるベトナム人:カンボジア南東部の村における自然・生活・民族間関係」と題する報告を行う。

 カンボジアのメコン河下流域は、十九世紀以降、ベトナム人が多数居住してきた地域である。メコン河が氾濫する雨季と、水が引く乾季の繰り返しの中、彼らは水に近しい生活を営んできた。だが、彼らが河により近接して暮らすようになったのは、一九七〇年代の内戦時にベトナムへ避難した後のことである。一九七九年以降に同地域に戻ったベトナム人は、かつての所有地が移入したクメール人(カンボジアの多数派民族)のものとなっていたため、川岸に集住するようになり、漁をおこなう世帯が増加した。そこで本報告では、地域の歴史に言及しつつ、F・Wで明らかになった彼らの現在の水辺の生活、困難への対応、クメール人との共生について述べる。

 国境を越えて大河下流域に居住するベトナム人の生活実態と、クメール人との関係、そして異なる民族同士の「共生」のあり方が明らかとなる。

 そして最後に、中国の事例として、太田出(広島大学)が「東・東南アジアにおける国民国家の形成と船上生活漁民―文献史料とフィールドワークの射程―」と題する報告を行う。

 かつて日本、朝鮮半島、中国、ベトナム、マレーシア、フィリピン、インドネシアなど広範囲にわたって、内水面や外洋で漂泊・漁撈する多数の船上生活漁民が存在していた。彼らは家船(日本)、九姓漁戸、白水郎、蜑民(以上、中国)、Orang-laut(マレーシア半島のジョホール地方、スマトラ東岸、ボルネオ西岸)、Mawken(ミャンマーのメルグイ諸島周辺)、Bajau(ボルネオ西北岸、ミンダナオ南岸からスラウェシの海岸線と周辺島嶼)などと呼ばれ、①土地・建物を陸上に所有せず、②小舟を住居にして一家族が暮らし、③水産物を中心とする各種の採取に従い、販売もしくは農産物と交換しながら、一定の水域を絶えず移動していた。しかし戦後の「陸上がり(陸上定居)」政策のなかで、生活は大いに変化を遂げた。

 そこで本報告では、一九六〇年代後半の中国を取り上げ、共産党が漁業的社会主義改造(漁改)を推進し、それまで国家・地域社会の周縁に在った漁民を「国民」として取り込むとともに、外洋漁民を中心にして国家間の領海紛争における「尖兵」としての役割を演じさせるようになった状況について詳しく述べる。

 これは、国境対策や周辺国との領海紛争など、国家(中央政権)が国策として周縁部の人々をどのように取り扱おうとしたのか、その歴史的展開について考察したものである。

 このように、三つの報告は、基本的に現代を扱っているという点では共通しているものの、対象とする国・地域や研究視角が異なる。また、F・Wの手法そのものも異なると思われる。しかし、いずれも文献史学を専門とする者にとって、F・Wによる史資料収集と分析といった研究手法は、様々な点で重要な示唆を与えてくれるものと考える。

 したがって、まずは報告者それぞれのF・Wの手法を簡単に述べていただいた上で、ご研究の成果について披露していただく。そして個別報告の内容を、その時代性と地域性(地域的特色)に注意しながら皆で理解し合い、その上で対象地域の枠組みを越えて、「水辺の人々」をめぐる諸問題について議論を深めたい。

 論点としては、同じ地域や近接した地域に居住しながらも、異なる生活実態を見せる場合、その背景としては生業の違い、出身地の違い、民族の違いなど様々な形が考えられるが、それを個々の事例において確認したい。そして、対立する面を持ちながらも「共生」する場合には、そのあり方についても確認し、共通認識としたい。

 また、文献資料の分析を基軸に据える研究手法と比べて、聞き取り調査などF・Wを大切にする研究手法の持つ有効性についても改めて考えたい。すなわち、そうした手法でしか理解・分析できない部分や、逆に困難な部分について確認することで、文献史学との共同研究あるいは他の分野も含めた学際的研究の可能性を探りたい。

 本来であれば、ヨーロッパ世界や新大陸世界を研究対象としておられる方を報告者の一人としてご登壇いただくのが、シンポジウムとしてはより効果的であるのだが、準備委員会の力不足により、それが叶わなかったことをお詫びする。

 したがって、西洋史専門の方でも、今回のテーマにご関心のある方、関連する事例をご存じの方があれば、フロアから積極的にご発言願いたい。シンポジウム当日、活発な議論が展開することを切に希望する。