2015年度 西洋史部会発表要旨

1、ローマ帝国下小アジアにおける建築事業――都市による文化資本運用の実態をめぐる基礎的研究

京都大学 増永理考

 ローマ期のギリシア都市の歴史像については、従前の衰退論が各方面から批判され、ヘレニズム時代からの変容、あるいは継続性が重視されている。かかる都市の活力を例証するものとして、ローマ期にかけて小アジアを中心とするギリシア都市で興隆した公共建築物の建設事業が挙げられる。

 近年、A. Zuiderhoekによって、当該期小アジアにおけるギリシア都市の建設事業は、都市有力者の内部的競争関係ではなく、彼らと共同体の社会的、政治的関係の中で考察されるべきと指摘されたことを踏まえると、建設事業は都市民同士、あるいは都市とローマのコミュニケーションの結果とみることができる。

 かかる観点に立ちつつも、Zuiderhoekとは異なり、建築物という文化的資本の運用実態を、動態的に、かつ帝国支配というより大きな文脈において分析するべく、本報告ではその基礎的研究として、エフェソス市を事例として、関連史料の整理、およびそこから浮かび上がる傾向を読み解いていく。

2、オスティア・アンティカ「七賢人の部屋」の文字調査報告

広島大学 奥山広規・上智大学 豊田浩志・奈良大学 西山要一

 豊田はこれまで、帝都ローマの外港オスティア・アンティカで文科省科研による現地調査を重ねてきた。その中でとりわけ、「七賢人の部屋」の北壁上部の壁面フレスコ画のアンフォラの上に「M・・・」の文字痕跡を発見し、文献学的見地からの試論を提示したことがあるが(http://pweb.sophia.ac.jp/k-toyota/monbukaken2010-2012/pdf/Koji-TOYOTA_Ambiente-dei-Sette.pdf,p.35-37)、その正否を問うべく、二〇一五年三月に奈良大学西山要一教授(当時)の協力を得て新たに赤外線撮影を実施した。

 本発表では、西山教授撮影詳細画像をもとに、調査に同行した奥山による「七賢人の部屋」の南・西・北壁のフレスコ画上の全文字の筆順・筆跡鑑定調査の成果に基づき、精度を高めた試論提示をめざしている。

3、司教文書に付加された王のモノグランマ―封建期フランスにおける文書実践と王権

九州大学 岡崎敦

 一一世紀のフランスでは、王権が弱体化したとされる。その兆候として必ず提示されるのが王文書の変容であり、発給数が激減するとともに、関係者、受益者の地理的範囲がパリを中心とする小さな地域に限定される。他方、カロリング的形式が、一〇三〇年以後急速に変容し、証人欄が繁茂することは、王文書の「私文書化」の進行ともみなされてきた。しかしながら、近年、封建社会の見方が再考されるなか、史料の内容、形式における変化を王権の衰退ではなく、一一世紀社会への「適応」と主張する論者も現れている。この報告では、文書実践という問題関心から、この時期における文書の価値と権威との関係について考察したい。具体的には、一一世紀半ば、シャルトル司教アゴバールがパリ司教座教会のために発給した文書を検討するが、この文書は同時代作成の単葉の用紙が全部で三通伝来し、そのうち一通のみに王のモノグランマが付加されているという特殊な例である。

4、一二世紀トレードにおける知的活動とドミニクス・グンディサリヌス

広島大学 石川詩織

 一二世紀にイベリア半島の都市トレードにおいて、アラビア語で著されたアリストテレス文献を筆頭とするあらゆる哲学的著作がラテン語に翻訳されヨーロッパへの伝播を可能にしたという事実はよく知られている。Ch.H.ハスキンズはこの活動を所謂「一二世紀ルネサンス」として、この時期に起こった汎ヨーロッパ的文化復興の主要な一要素に取り上げた。それ以来、トレードはもっぱらアラブ世界からラテン・キリスト教圏へと哲学的著作をもたらした知の「中継地」として位置づけられている。しかしながらこれは、同時期に創設された大学が知の「中心地」と想定され、トレードにおける一連の活動の知的側面がほとんど取り上げられてこなかったためである。本報告では、翻訳のみならず学究活動にも従事した聖職者ドミニクス・グンディサリヌスが同地で著した哲学的著作をとりあげ、トレードの知的活動に光を当て、その歴史的意義を検討したい。

5、一四世紀東地中海における商業ネットワークとカンディア

広島大学 西本祐紀

ヴェネツィア共和国は第四回十字軍を契機とする東地中海への領域的拡大の過程において、共和国最大の海外領土となるクレタ島を獲得した。商業史において、ヴェネツィア統治期のクレタ島は、伝統的に共和国の遠隔地商業における中継地としての補助的な役割が強調されてきた。近年、食糧供給などの面から、クレタ島とエーゲ海島嶼部、および周辺の大陸部との日常的な交流にも関心が集まりつつあるものの、クレタ島がヴェネツィアの商業活動に従属していたとする見方は依然として根強く、クレタ島の商業的自律性は軽視される傾向にある。本報告では、一四世紀初頭のカンディアの公証人登記簿をもとに、カンディアを拠点とする商人及びカンディアを利用する外来商人の事例を検討する。従来のヴェネツィア史の枠組みに捉われない、クレタ島を取り巻く中世東地中海における商業ネットワークと、そのノードとしてのカンディアの機能を明らかにする。

6、スコットランド王ロバート一世の王権と印璽

慶應義塾大学 坂下拓治

 一四世紀初頭のスコットランド王であるロバート一世は、独立を勝ち取った英雄としてこれまで描かれてきた。中世の年代記作者による叙述の伝統を引き継いだ比較的単純なこのような描写を、顧みられてこなかった印璽に注目することにより再考するのが本報告の目的である。スコットランド史とは対照的に、イングランド中世史はすでに王の印璽によって鮮やかに描かれてきた。印璽の使用の制限と複数化はイングランドの憲政史・国制史の進展を表した。研究の結果、ロバートの印璽は一見するとイングランドと同様の変化を示した。彼は複数の印璽を使用するようになり、治世間にそれらの使用法が変化していったのである。しかし、彼の印璽が意味したのは、イングランドのような憲政的進展ではなく、スコットランド固有のあり方であった。実践を模倣することでイングランドから異化するというスコットランド王の伝統的な手法により、王権・王国の独立を訴えたのである。

7、一八世紀イングランドにおける出産支援チャリティの再検討:The Lying-in Charity for Delivering Poor Married Women in Their Own Habitationsを中心に

広島大学 岡田朋子

一六世紀末よりイングランドの救貧体制は、公的救済(=救貧法)と非公式のヴォランタリリズムが並行して整備され、一八世紀における多様なヴォランタリ・ソサイエティの展開を導いた。しかしながら、従来、救貧法に関して様々な分野から研究が進められてきたのに対し、ヴォランタリズムの果たした役割は過小評価されてきた。さらに、救貧以外のより広範な人々の救済のヴォランタリ・アクションにも関心が向けられ、特に中間層の女性たちの果たした役割について注目されている。

一七五七年に設立されたThe Lying-in Charity for Delivering Poor Married Women in Their Own Habitationsは、分娩施設、助産婦の派遣、シーツの提供などを通した貧困な妊婦の安全な出産支援を目的とするヴォランタリ・アクションである。これまで出産を巡るチャリティ研究は、一八世紀中葉に展開した重商主義的博愛主義の理念に基づく病院設立運動を考察する際に、個別的な事例として論じられるにとどまっていた。

そこで本報告では、The Lying-in Charityの活動と、同協会が当時の社会において支持を獲得した要因を、協会への寄付者やお産に関わる女性たちの視点から再検討してみたい。

8、一九世紀北米ボーダーランズにおける「先住民」集団と連邦国家―先住民「混血者」メイティの合衆国への包摂過程を中心に

日本学術振興会特別研究員PD 岩崎佳孝

アメリカ合衆国とカナダは、地域住民の生活圏、交易圏としてのボーダーランズに国境(ボーダー)を「上書き」した。その最も有名なものが、一九世紀後半、西部フロンティアをより厳格な国境線で分断、封鎖すべくロッキー山脈までの国境未定地域にひかれた、北緯49度線であった。

ボーダーランズを横断し、国家統治の障害とみなされた先住民と白人の「混血者」集団メイティ(Métis)は、閉ざされた国境により移動を留められ、はじめて両国家に包摂され、統治下に置かれることになった。

 本報告では一九世紀末の合衆国内のメイティの状況に注目し、以上の過程においてメイティ社会に他律的、自律的再編成がもたらされ、それ以前とは異なる新たなものへと再構築されることで合衆国連邦体制下に包摂されていったことを明らかにしたい。また、その事態が現代の合衆国における「先住民(集団)」の在り様にどのように直接結節しているのかについても一考したい。