2016年度 西洋史部会発表要旨

一、紀元前四世紀アテナイにおける海上交易商人の協力関係と法廷

京都大学 杉本 陽奈子

 従来、前四世紀アテナイにおける海上交易商人は、ポリス社会のアウトサイダーとして消極的に位置づけられてきた。報告者は、彼らの人的紐帯が果たしていた機能に注目することでこうした評価を修正する必要があると考えており、本報告ではとりわけ、法廷という場に焦点を絞った考察を行う。

関連史料を検討したところ、法廷での商人の人的紐帯の機能には、実際の協力関係とレトリックという二つの次元が存在していたということ、そして、これらが時に交錯するものであったということが確認された。先行研究は、文書が大きな役割を果たしていることを商業裁判の特徴として強調してきたが、以上のような分析結果からは、異なる像が浮かび上がる。すなわち、文書は法廷における説得の手段としては必ずしも重要ではなく、むしろ協力関係の存在が、いくつかの点において裁判を支える機能を果たしていたと考えられるのである。

二、中世盛期バイエルン貴族の文書管理とその利用─『ファルケンシュタインの書』を中心に─

広島大学 佐藤 匠

 『ファルケンシュタインの書』は一二世紀バイエルンの貴族ファルケンシュタイン伯ジボトー四世の指示によって作成され、現在まで伝来している数少ない俗人文書群の一つである。そこに含まれるジボトー四世の家族を描いた細密画や所有する所領からの収入を記した貢租帳を扱い、いかなる意図でこの写本が作成され、また所領管理や財産保全そしてそれらを継承するためにいかに利用していたかを検討する。貢租帳には追加補足のための余白が作成時に設けられており、実際に記述が続けられた期間中に何度も補足修正削除が行われ所有する所領について最新の状態が保たれていた。また記述と対応する挿画が見出しのように配置され理解と検索のための補助的機能を果たしている。これはジボトー四世から息子のクーノへ継承させるに際しての俗人だからこその配慮であり、文書管理の方法であると考えられる。

三、一三世紀後半ビジェルのテンプル騎士団バイリアにおける定住・流通・空間編成

広島大学 足立 孝

 近年の中世アラゴン研究では、「辺境」で展開された征服・入植運動はかつてとは逆に、それ自体封建制の形成をもたらす現象であったと想定されている。その際、重要な参照軸となったのがいわゆるインカステラメント・モデルであり、征服・入植をつうじて生成した、城塞を核とする新たな集住形態と空間編成が封建制形成の指標とみなされてきたのである。もっとも、同モデルには本来、開設市場を媒介とする在地流通の組織化が重要な要素として組み込まれているのであるが、それが実態レヴェルで封建的な定住・空間編成にいかなる影響をおよぼしたかはかならずしも重視されてこなかった。そこで本報告では、典型的な「辺境」というべき下アラゴン最南部、城塞集落ビジェルを中心とするテンプル騎士団バイリアの定住・空間編成とバイリア内外の流通回路との関係の一端を、一三世紀後半の『ビジェルの公証人マニュアル』を主たる材料として具体的に明らかにしたい。

四、一六世紀フランス国王の債務─一五二〇—二八年フランソワ一世の事例を通して─

慶應義塾大学 山内 邦雄

 資金が政局のすべてではない。だが資金の流れを追いかければ政治の変化をあとづけることができるであろう。

 フランス王国は、フランソワ一世即位(一五一五年)直後から、神聖ローマ帝国皇帝選挙を経て、ハプスブルク家のカール五世との相つぐ戦争に突入した。戦争は、軍事費の増大をもたらし、王国財政は逼迫、国王・政府は種々の財源拡大を図った。特に増税することなく一度に多額の資金を調達できる銀行家からの借入が増加するが、国王・政府は借入について従来とは異なる施策・手法をとり、一五二三年には従来の財務官僚制度を一新する財務行政改革を断行し、国王の財政への関与も変化していく。

 国王、重臣、財務官僚および貸手である銀行家の行動はどのように変わり、王国財政・行政、金融にいかなる変化をもたらしたのか。本報告は、中世から近世への変革期におけるフランス王国財政をめぐる変容にアプローチし、その意義を考察することを目的とする。

五、一七世紀ドイツにおける統治論と自然哲学―ヨハン・ヨアヒム・ベッヒャー『政治論』を中心に―

神戸芸術工科大学 紫垣 聡

 一八世紀のドイツで大成された官房学は、主権国家を統治し、国力を高め、人民の福利を増大するための学知である。一五・一六世紀の都市や領邦における統治(ポリツァイ)が規律と秩序を重んじ、奢侈と享楽を禁じたのに対し、官房学は臣民の富と幸福を統治の目標に掲げた。近世の統治論におけるこの変化はなぜおこったのか。本報告は一七世紀後半に化学者・医師・宮廷顧問として活動したヨハン・ヨアヒム・ベッヒャーの著作の分析を通じてこの問題を考察する。

 ベッヒャーの政経論は、経済社会を自律的なメカニズムをそなえた構造物ととらえるところに特色がある。統治者の役割はその働きを正しく導き、人民の幸福という共通善を実現することとされる。彼のそうした社会観・国家観を支えていたのは、一七世紀に目覚ましい発展をみせた自然哲学の知見だった。自然や人体を司る神の摂理にもとづき良き統治の実現をはかる思考は、新しい「統治の学」の登場を画した。

六、ハワイ王国末期における福音派のアングロカトリック派に対する戦い―ハワイの異教への逆行を防ぐために─

 広島経済大学 山本 貴裕

 一八八〇年代後半のハワイ王国では、アメリカ人宣教師の子孫を中心とする福音派(evangelical)が、宗教・政治の両面でハワイの白人勢力を結集させ、カラカウア国王自らが主導したハワイアンの異教文化の復興に対抗しようとしていた。彼らにとって、ハワイの異教への逆行を助長するものはすべて敵であった。その中にはハワイの主教派(Episcopalian)内のアングロカトリック派(Anglo-Catholic)も含まれていた。実は、福音派はアングロカトリック派と同様、英国国教会内にその起源をもち、ハワイでの両派の論争は同教会内での両派の論争の再現とでもいうべき側面を有していた。この報告では、福音派がアングロカトリック派の何を問題としたのか、両派の争いがハワイ王国転覆とどのような関係にあったのかについて考えてみたい。また福音派とは何かという問いにも歴史的な視点から答えてみたい。

七、世紀転換期ドイツにおけるフェミニズム運動の再検討-急進派ヘレーネ・シュテッカーの性改革運動を中心として―

広島大学 秋山慈子

 世紀転換期ドイツにおけるフェミニズム運動は、母性を強調することによって女性の社会進出を目指す穏健派が主流を占めていた。一方で婦人参政権運動などに代表される、いわゆる「男女同権」を主張する急進派は、世紀転換期ドイツ・フェミニズム運動のなかの少数派にすぎなかった。

 急進派に位置付けられるヘレーネ・シュテッカーは、未婚の母と婚外子のための「母性保護同盟」を主催し、中絶の合法化や産児調節など、女性の自己決定権を主張した。これまで運動内における中絶をめぐる論争での急進派の敗北を機に、彼女の影響力も失われたと考えられてきた。しかし、現在よりも道徳的にはるかに厳格な社会で、性の領域での男女の平等や女性の自己決定権を主張したという点で、急進派シュテッカーの影響は小さくない。

 本報告では、彼女の性改革運動を再検討する。その影響を考察することにより、世紀転換期ドイツ・フェミニズム運動急進派の意義を解明したい。

八、欧州統合成立期における米欧間の法律専門家ネットワーク

九州大学 高津智子

 本報告は、第二次世界大戦後から一九五〇年代中頃までの欧州統合の成立期を対象に、政府間の外交交渉に焦点を当てた既存研究では十分に光が当てられてこなかった、統合政策の立案プロセスにおけるアメリカからのアカデミックな影響を分析するものである。分析対象となるのは、CIAの父と呼ばれるA. ダレスが欧州統合を促進するために立ち上げた「統一ヨーロッパ・アメリカ委員会」と、その財政的な支援を受けた西欧の統合推進団体「ヨーロッパ運動」である。両組織は、フォード財団やCIAからの資金援助の下、米欧双方の法律専門家から成る研究グループを立ち上げて独自の統合構想を策定し、それをもとに実際の統合政策への関与を試みることになる。そこで本報告では、この米欧の専門家ネットワークの中で行われた知的な交流の実相に焦点を当て、それが統合プロセスに与えた影響を明らかにしたい。