2017年度 考古部会発表要旨

一、大田・津雲・吉胡貝塚の比較―古人骨の歯牙調査報告―

 広島大学 長 井 健 二 

 京都大学理学部人類学教室所蔵の所謂、「清野謙次コレクション」を実見、計測調査する機会を得ることができ、以下の知見を得ることができたので報告する。「清野謙次コレクション」とは大正、昭和初期に清野先生が発掘調査された縄文時代古人骨の膨大な資料の集積で京都大学に収納されている。そのうちの頭蓋骨の残遺が良好で、歯牙の分析に可能かつまとまった比較に耐えうる数量の出土個体を有する大田貝塚出土三四個体、津雲貝塚五一個体、吉胡貝塚八二個体、轟貝塚一一個体、川地(亀山)貝塚一○個体、稲荷山貝塚一九個体、矢崎貝塚九個体の合計二一六個体より情報を得たが、今回はそのうちの大田貝塚と津雲貝塚と吉胡貝塚のみを抽出し分析考察する。調査項目は、これまでの一連の調査と同様に齲蝕、歯周疾患、歯牙の咬耗について精査する。人類学的アプローチにより幾許かの考古学的知見が得られれば幸いである。

二、神石郡旧豊松村における出土遺物をめぐって

広島大学 野 島  永・佐 々 木 尚 也・名 村 威 彦・真 木 大 空

 広島大学考古学研究室は、広島県北東部に位置する帝釈峡遺跡群において、五○年以上にわたって岩陰・洞窟遺跡の調査を行ってきた。今後は、同時期における帝釈峡遺跡群の利用状況をより詳細に把握するため、開地遺跡(オープンサイト)の調査を進める方針である。その第一歩として、神石郡神石高原町旧豊松村において、農地開墾や圃場整備に伴って出土し、採集された遺物を実見する機会をいただいた。これらは、旧豊松村で長年にわたって資料の採集・記録・保存に努めてこられた故井平軍治氏の功績である。その中には、縄文土器をはじめ、弥生土器、須恵器、石器、玉類、鉄器などが含まれ、当地の歴史的環境を知ることができる貴重な資料群と考えられる。今回は、故井平軍治氏採集資料の一部を紹介し、若干の考察を加えて現状の把握と今後の展望について述べる。 

三、東広島市高屋町杵原六号遺跡の調査成果について―弥生時代後期の投擲具―

東広島市出土文化財管理センター 中 山  学 

 杵原六号遺跡は、東広島市高屋町杵原・高屋堀地区に広がる樹枝状の低丘陵最南端に位置する弥生・古墳時代を中心とする遺跡である。沼田川の支流・杵原川と正原川に挟まれた丘陵先端部に位置し、かつては眼前に河川による湿地帯が広がっていたとみられる。遺跡からは弥生時代後期から古墳時代前期の竪穴住居跡が検出されたが、これらは遺跡内を北から南に流れる大きな自然流路のそばに営まれており、流路からも廃棄された多量の弥生土器や土師器、焼石が出土した。土器群の中で注目されるが自然流路2の弥生時代後期の土器堆積層から出土した直径約三センチ、重さ三一.九グラムの円形土玉である。表面には細い紐を掛けるのに適した浅い刻目が縦方向に二条、横方向にも一条施されている。この土玉について、現時点では狩猟用投擲具の錘ではないかと考えており、農耕以外の弥生時代の生業の一端を窺わせる好資料として注目している。

四、古墳時代におけるガラス小玉の研究―広島県内の様相を中心として―

呉市文化振興課 荒 平  悠

 日本列島におけるガラス小玉は弥生時代前期末に出現し、後期において地域性を伴って激増するが、北部九州及び北近畿を中心とした分布圏が拡大していく。これに伴って色調や形状にも多様性が生じていることから、ガラス製品流通の画期を弥生時代後期段階において認めることができる。

 研究史においては、材質や色調、製作技法の観点から日本列島におけるガラス小玉を区分する手法が提示されている。今回は外見的特徴に基づく諸属性に特化して細分することで列島全体のガラス小玉の様相を多面的に把握した上で、様々な要素に基づき再統合することで製作から副葬を中心とした使用に至る過程を考察する。さらに広島県内出土事例から見いだされる地域的特色についても考察を行いたい。 

五、奥山製鉄遺跡の調査報告

公益財団法人広島県教育事業団埋蔵文化財調査室 平 元 克 弥

 奥山製鉄遺跡は三次市君田町に所在し、平成二八年八月~十一月に発掘調査を行った。調査面積は一五一平方メートルである。茂田地区には鉄穴流しの痕跡、金屋子神社など製鉄に関係するものが残存する。

 調査区は後世の農業用水路の南側にあたる平坦面と斜面で、現状は山林である。検出遺構は、調査区中央部に広がる整地面と、整地面上のピット一基である。整地面の南側から東側にかけて厚さ二メートル以上にわたり大量の炉壁や排滓が積み上げられており、精錬鍛冶の鞴の羽口六点が整地面北部上層の一×二メートルの範囲からまとまって出土した。

 原地形は北から南に傾斜しており、おそらくL字状にカットして作られた平坦面に製鉄炉が築かれていたと考えられる。炉部分は農業用水路により削平されたと考えられ、ピットは覆屋の柱穴の可能性がある。

 操業時期は、出土遺物や炉壁へのスサの混入、たたら製鉄と精錬鍛冶の近接操業から、中世後期と想定される。

六、広島県北部地域の中世土師質土器(杯・皿類)の編年について
―芸北地域の十五~十六世紀を中心に―

広島県立歴史博物館 尾 崎 光 伸 

 芸北地域では、北広島町の史跡吉川氏城館跡の保存整備事業や安芸高田市の郡山城跡とその周辺の遺跡の調査などで多くの土師質土器の杯・皿類が出土しており、それぞれ整理・報告がなされている。しかし、土師質土器の研究は個々の遺跡内での位置付けに留まっており、広域にわたって出土する遺物を網羅的に研究したものは余り見られず、また各遺物の時期についても、輸入陶磁器などの共伴遺物や中世史料の年代観に拠りかかっており、考古学的な検討がなされているとは言い難い状況にある。

 本報告では、発掘調査で出土した多様な杯・皿類の中で一括資料を中心に取り上げ、法量・調整の変化などから杯・皿類の編年を行うとともに、それらが出土した遺跡の時期の再検討と、十五世紀を中心に見られる土師質土器皿の法量分化の問題について取り上げたい。

七、福山市内の石垣等の石材加工痕跡について―主に矢穴の規模に注目して―

福山市教育委員会 山 岡  渉   

 どこも同じと考えられるが、福山市内には多くの石垣等の石材が加工された遺物が残されている。代表的なものは福山城跡・堂々側の砂留群・鞆港湾施設跡等があり、小規模なものでは棚田や水路の石垣等があるが、今回は代表的な遺跡について検討の対象とし、今後、より調査例を広げていく予定である。

 調査・検討の結果、織豊期から明治時代から昭和初頭(主に戦前)までについて、矢穴の規模が変化していくことが明らかになった。また、大まかな編年の作成が可能となったことから、今後はそれぞれの石垣について時期特定することが可能となり、それぞれの遺跡の内容・変遷に一考を与えることとなった。

なお、今回は石塔群のように矢穴等の加工痕跡が残りにくいものや、微細な加工痕等の集成・検討の対象から外し、今後の課題とした。 

八、厳島(宮島)における埋蔵文化財の取り扱いと試掘調査について

廿日市市教育委員会 順 田 洋 一

 世界遺産厳島神社が所在する厳島は文化財保護法、自然公園法、都市計画法など、いくつもの国内法によって守られている。文化財保護法では、全島が特別史跡及び特別名勝に指定されており、現状変更の制限についての定めがある。また、文化財保護法を根拠として、広島県が平成一九年に保存管理計画を策定しており、埋蔵文化財についてもこれらに基づいて取り扱っている。

 島内で掘削を伴う開発行為を行う場合、事業者は文化庁に対して、建物等の外観(地上部)と合わせて掘削規模についても現状変更申請を行う。掘削の規模が大きい場合は事前に発掘調査を行うことが許可条件となることが多く、その試掘調査は市教委が行っている。昨年度は宮島町屋跡西大西町第一地点、今年度は既存ホテルの耐震補強に伴う拡張工事の試掘調査を行った。全島が指定対象であることから、遺構等有無の確認のための試掘調査だったが、上記二件では新たな遺構等の検出はなかった。

九、考古学的世界遺産・ドイツと日本の現状と課題

広島大学 ウェルナー・シュタインハウス 

 近年、日本では世界遺産に関わるニュースが毎年のように世間を賑わせているが、今回の発表では、考古学分野における世界遺産登録に関わる申請について、各国の取り組み・戦略の比較と説明を試みる。発表者は日本国の申請過程に積極的に関わる機会に恵まれ、イギリスで申請の状況を把握し、中央ヨーロッパの事例など、現場で聞き取り調査を行うなかで、各国での申請の状況とその取り組みに相違が大きいことを再認識した。さまざまな現実的課題を紹介し、具体的な対応策について分析しつつ、考古学分野における世界遺産とその申請・登録を取り巻く社会的意義について考えていきたい。