2017年度 東洋史部会発表要旨

一、日本側の視角から一九四一年の中原会戦を考える

 大阪大学 鄒 燦

 一九四〇年秋からの方策転換で、一九四一年度の日本軍の作戦重点は華中と華南に置かれ、また北支那方面軍の要務は華北における共産軍の討伐を目処とする粛正建設と治安確保とされた。しかし、一九四一年五~六月の間に、北支那方面軍が山西省南部、黄河北岸に拠点をおく衛立煌が指揮する中央軍に対する攻撃を発動し、両軍は激戦になった。この中原会戦(中国では中条山戦役)の結果は国民政府中央軍の大惨敗であった。従来の研究では、殆ど中央軍が惨敗した原因に注目し、さらに中共が即時に出兵して中央軍を協力したかどうかについて議論されてきた。本報告では、視点を変えて、まず一九四一年度の作戦計画に相容れない中原会戦を日本側がなぜ発動したのかについて考察する。次に当時の日本側が国共関係を離間するためのデマを散布したと度々指摘されるが、その根拠について検討する。最後に、日ソ中立条約調印後、独ソ開戦直前に行われた中原会戦を、南進政策を決意し英米との戦争に辿っていく一九四一年の日本による諸作戦の中に位置づけることを試みる。

二、恐慌期日本・蘭印貿易関係と相互認識

愛知県立大学 泉 川 晋

 本報告は、一九三〇年代初頭における蘭印の対日貿易での入超傾向をオランダ側がどのように認識していたのか、また何を問題としていたのか、さらに日本側との認識の類似・相違点を明らかにすることで、日本製品の流通が蘭印社会に果たした役割を考察することを目的とする。

 蘭印の対日貿易は一九二九年以降、入超傾向を示し、三〇年代初頭には日本からの輸入が総輸入額において三割のシェアを占めるに至った。その主な製品は綿製品をはじめとする軽工業品であったため、オランダ工業界からの反発を受け植民地政府は輸入制限令を施行することとなった。一方、この輸入制限は日本側(特に業者)からの反発を生み、問題解決のために日・蘭印政府間の交渉(日蘭会商)が開催された。

 以上の背景を踏まえて、日本・蘭印双方の未刊行文書をクロスチェックすることで、先述の課題を検討する。

三、一九世紀ベトナムにおける阮朝の財政運営と贈与慣行―阮朝皇帝による賞賜を中心として―

日本学術振興会特別研究員PD 多 賀 良 寛

 阮朝期のベトナムにおいては、各種慶節や国家儀礼に因んだ贈与慣行を通じ、大量の財が移動していた。本発表は、これら贈与慣行の財政的位置付けや経済的意義を、阮朝皇帝による賞賜事例に着目して考察する。慶節や皇帝祭祀にちなむ阮朝皇帝の賞賜は、首都のフエを主要な舞台に行われた。いっぽう地方で大規模な賞賜が実施される機会としては、阮朝皇帝のハノイ巡幸=北巡が重要であった。さらに阮朝の皇帝は、カンボジアやラオスなどの周辺諸国を朝貢国とみなし、その使者に大量の物品を賜与した。賞賜で用いられる物品は中国・西洋・ベトナムの産品に大別されるが、威信財として重要な意味を持ったのは中国産品と西洋産品であり、両者は阮朝の国営貿易を通じて確保された。また阮朝期には飛竜銀銭や美号銅銭など賞賜用の特殊貨幣が多数鋳造され、国内外に頒布された点も重要である。

四、南宋公文書「加封三茅真君誥」の発出過程と刻石

神戸女学院大学 小 林 隆 道

 「加封三茅真君誥」は、南宋淳祐九年(一二四九)三月に朝廷が茅山主神の三茅真君に発給した公文書(官誥)である。その公文書は茅山で刻石され、石刻「文書」として伝世し、その録文は『句容金石記』などの金石関連文献に収録され、且つ拓本も現存している。  

 従来の宋代史研究では政治や宗教及び文書研究などの各方面で公文書を用いた研究成果が既に豊富に挙がっているが、その際に利用できる史料はみな既に刻石された後の「文書」或いは記録のみであった。しかし、上述した「加封三茅真君誥」が発給される以前に用いられた一連の文書群が『正統道蔵』に収録されている。本発表では、それら各種文書を整理した上で当時の文書手続きを考察し、石刻「文書」として残された公文書の背後にどのような具体的な文書や手続きが存在したのかを明らかする。それを通し、現在参照し得る石刻「文書」が当時に果たした役割を改めて考える。

五、明代抽分竹木廠の抽取・徴課業務について

                          山口大学 滝 野 正 二 郎

 明朝政府は、官営の建築・工作用資材を調達する一途として、南京・北京などの首都周辺および国内各処において、輸送・流通過程にある木材・竹材等を一定の比率により抽取、あるいは、それらを対象に通過税を徴収した。この機関を抽分竹木局あるいは抽分竹木廠という。報告者は、先年、そのうちの杭州・荊州・蕪湖三廠を中心として、その人的組織を分析した(「明代抽分竹木廠の人的組織について―杭州・荊州・蕪湖三廠を中心に―」『川勝守・賢亮博士古稀記念東方学論集』二〇一三年)。本報告では、その続編として、杭州・蕪湖の二廠および淮安清江廠における抽取・徴課業務を中心に検討する。特に、「本廠」「分関」などと呼ばれる抽取・徴課・監視拠点の配置および分業の様態、さらには、抽取・徴課対象となる竹材・木材等の出産地の広がり等、いわば抽分竹木廠の空間把握ともいうべき問題に注目して検討してみたい。