本文へスキップ

沿革

 本会の創立を顧みとる、昭和4年設立された広島文理科大学の史学科の創立とほぼ時を同じくしている。すなわち、本会発起人の発足は1929(昭和4)年5月18日、発会式は同年6月15日であり、一方、文理科大学の創設は4月1日であり、本会創立の主唱者や発起人会の中心となったのは文理科大学の教授陣であったし、会の事務局も文理科大学の国史研究室に置かれた。

 発会後年3回の発行であった会誌『史学研究』は第11巻から年4回発行と改められたが、第12巻は早くも3回発行されたにとどまり、第4号は2年ごしの1942(昭和17)年1月ようやく発行されるという有様となり、事実上この号を限りに休刊の余儀なきに至った。会誌の復刊は1949(昭和24)年10月柳原書店によるB5版の『史学研究』復刊第一号の発行までまたねばならなかった。また敗戦を機に会の役員構成の上に大きな変化があり、戦前、文理科大学の教授陣を主とする評議会員が会運営に当たることになっていたのだが、1947(昭和22)年11月開催の大会を機に、年1回開かれる大会において選挙された理事の構成する理事会が運営の責めに応ずるという民主的色彩に改められた。また、さらにその10年後の1956(昭和31)年4月より、理事が会務の実際運営に当たる方式を改め、理事若干名を含む教官・大学院生より成る委員の構成する委員会が実際運営に当たることとなった。

 文理科大学は1950(昭和25)年度入学者を最後に廃止され、これに代わって1949(昭和24)年広島大学が誕生し、その文学部史学科に、文理科大学の国史・東洋史・西洋史の各教室を母胎とした各専攻の他に新たに地理学専攻が加えられ、1953(昭和28)年には文学部を基礎として文学研究科修士・博士課程が設けられた。さらに、1965(昭和40)年には考古学専攻が新設され、学年進行にともない修士・博士課程が設けられた。これにともない、本会の部会も、1947(昭和22)年以来の国史・東洋史・西洋史の各部会の他に、1950(昭和25)年度より地理部会が、1952(昭和27)年度より考古・民俗、社会科教育の2部会が加えられ、都合6部会制となった。

 本会は現在、前記6部会、会員約650名を擁し、会誌『史学研究』も戦中および戦後混乱の休刊時期を除いて、2011(平成23)年3月までに270号を刊行してきている。

バナースペース